アンドレ・デジール 最後の作品

二人なら。共鳴が共鳴を呼ぶ。

 

2023年9月はミュージカル界が大混雑していた。…これ3月にも書いたな?帝劇こそドリボだったものの、日生ラグタイム、クリエクンリーコン、フォーラムは10日までだったけどファントム、オーブは私の大本命アナスタシア(最高)、池袋ではスリルミーにスクールオブロック、初台では生きる、ついでに新宿ミラノ座で新感線…これはチャンバラ劇。なんで全部9月なんだよおおおおお!の叫びに最後に飛び込んできたのがこのよみうり大手町ホールアンドレジール。同じ書き出ししてんのよ、マリーキュリー。そう、マリーキュリーと同演出の裕美さん、翻訳・訳詞の亜子さんが本を書き、GOYAの音楽めっちゃ良かったよね!(これも裕美さん演出)な清塚さんってもうその3人でチケットが売れるんじゃー!の信頼感。なんで9月なんだよおおおおお!(2回目)しかし本当に偶然ぽっかり空いた予定のところで観に行って良かった。これは諦めてたらいけないやつだったよ。信頼の裕美さんと信頼の亜子さんと信頼の清塚さんはやっぱり裏切らない。演出と本と音楽の全部がかみ合って演者の表現で出てくる。ハマる予感がしてWキャスト両方観れる手筈で出掛けてくれてありがとう、自分。マチネ終演後にリピチケでソワレを取りました。最高。

 

ウエンツ上山→上川小柳の順で観た。最初からWキャストがチーム固定されてて、キャスト出た時にえー上川上山で観たいのに!って思ったんだけど両方観たらこのペアで固定な理由が分かった。いや、勿論スケジュールの都合とか歌唱力の話とか色々あるんだろうけど、上川上山、組んでたら闇深すぎるしちょー陰だしたぶん大好きだけどダメなヘキ拗らせるやつでしょ。やばいよ。そう、とにかく私は上川さんの陰陽の出し方に驚いた。ウエンツエミールにも暗さはあるんだけど、上川エミールは背負い方が闇。最初のお父さんとの画廊のシーンで暗すぎてビックリした。ウエンツエミールのほうがカラッとしてるというか、子どもっぽさ?無邪気な感じが見える。ゴミ箱の上に体育座りするとことか可愛いし無意識に出してる甘えみたいなものを上山ジャンが掬い上げてる感じ。上山ジャンのほうが湿っぽいんだよね。あんなに陽気に美術館ツアーのガイドしてるけど。そうだ、あそこの上山さんと小柳さん、ダンスの分量違うよね…?上山さんめちゃくちゃ踊るな!って思ったんだけど小柳さんそんなに踊らない…?ってなった。バチバチに踊るか、長い手足を流すように踊るかの違い…?上山さんのあそこ、あのテンションで踊ってみせられるの普通に凄かったもん。いきなりあのテンションきたらもっと浮く。小柳ジャンはもうちょいこう、なんというか、ストレートプレイの人なんだよな。台詞の懐が深い。そう、だから重ためでちょっと拗らせてる上山エミールを隣で見守れるんだと思う。そこが歌になると逆転するのが面白くて、正直小柳さん歌頑張れ…!って思うとこもあったんだけど上川さんとの歌になるとめちゃくちゃ良いのね?2人の声の相性が良かったっていうのも勿論あるんだろうけど、これは上川さんがリードして小柳さんの声を包み込むようにしてるんだ…!って気付いた瞬間そのスキルの高さに目ぇひん剥いた。上川さん、すごい、上手い…上手いなんて大前提なんだけどこんな溶け合い方は初めて聴いた。凄い。

まずどこが好きかって言われるとデジール大好きな2人が出会ってジャンの部屋でわぁきゃあしてるシーン。ここであらゆる作品に対して"自分のことだ"って思ったことのある人は、この2人の共鳴に共鳴出来て話に引っ張られるんだと思う。私は絵は分からないけど小説でそれを思って救われてきてるから「分かる」って一緒に言いたくなった。そういうことだよね?ここのオタクムーブというか、好きな事に対してのめちゃくちゃな早口が、わぁ、見たことある…で、でも分かる…なの。好きなものに同じ熱量を出せる相手って貴重だよね。で、そんなジャンの言葉がエミールの「描きたい!」を引き出すんだから唯一無二になるしかないのよ。ドガのエトワール好きなんだよね。バレエをやってたからチュチュが可愛いな、なんてそれだけで惹かれてたんだけどのちにこの話でも描かれる踊り子とパトロンと…なんて話を知って少なからずショックを受けた。どこでだってね、搾取されるのは若い女よ。

 

贋作ビジネスのとこのネオンが生きるの夜遊びシーンを彷彿とさせて上山小説家の可能性…?全然あるね?数年続いてるこの贋作を作ってる期間って、エミールはすごく楽しかったんだろうなぁって振り返ると思う。ジャンの言葉を聞いて、描きたい!という衝動でひたすらにキャンバスに向かえる。ジャンはエミールにこんなことさせて、違うんだ、ってずっと思ってるのにエミールにそこは絶対見えないんだよね。この齟齬がね、ピースがハマるためのものだけどすれ違いのもとだよね。

ジールの最後の作品の依頼にタガが外れるというか、出会ったころの「2人で描けたらいいな!」は喜びであって呪いだと思った。絶望をみてたジャンと、希望/再生をみてたエミールではそもそもの出発点が違ったはずなのにエミールを縛るのはジャンの言葉だから絶望に囚われる。だからそこにエミールはお母さんを見るし、体験して、それでより絶望する。素晴らしい絵だ!と興奮するジャンはさらに言葉が溢れるからエミールを縛る。ねぇ、ふねだよ。描いてもいい?じゃないんだよ。バカ!調子乗んな!!!って思うんだけど、描けないジャンがそこにのりたくなる衝動もさ、分かるよね。でもさ、エミールを見て?そこの、たった数歩のところにいる、絶望から帰るための、救われるためのふねを待ってるエミールを。あそこでね、岩…月明かり…から、違うふねだ、って気付けるのがジャンの良いところなんだけどね。救われない。この"救いのふね"の提示のされかたがさ、たまんないんだよね。

エミールが、絶望を描いた最後の作品を違うと言い続けて、あれを描いていたらデジールは死んでなきゃいけないって言うの、幻想じゃなさそうなのがこわかった。ジャンとの共鳴が会ったこともない、でも憧れの画家との共鳴にまで発展していってるの、段階が上がりすぎてる。ここまでエミールを引っ張り上げられるジャンはやっぱりある種凄い才能を持ってるんだけど、エミールにしか分からないんだよね。エミールはずっとそうやって自分を引き出してくれるジャンこそを凄いと思ってるのに。

二幕の、エミールのお父さんと画廊で話したあとのジャンと、エミールのすれ違いの曲が無茶苦茶泣けるのね。で、あそこのアトリエに戻ってからの「どうしたらいいか分からないよ」って(ニュアンスしか覚えてない、悔しい)エミールに対するジャンが2人とも本当上手いなって。一歩間違えたら簡単に嫌な奴になるのに絶妙なラインで言葉を発するの。上山ジャンは自分の無力感が強くて、小柳ジャンは優しさが強いなと思った。もしくは上山ジャンは自責が強くて、小柳ジャンはどうにかして"あげたい"って包み込むような感じ。対するエミールは「どうして分かってくれないんだ…?」ってそれぞれ思ってるんだけど、ウエンツエミールのほうがストレートになんで?分かってよ!って癇癪を起こす子どものようで、上川エミールはどうしてこれを伝えられる言葉を自分は持たないんだろうってみえる。こういう微妙なニュアンスと見え方の違いが楽しいんだよね。デジールの娘として入ってくる水さんに対する態度も上山ジャンのほうが強くて、小柳ジャンのほうが女性だからって遠慮があった。

 

ジールとマルセリーナの回想。天才???ここで一気に話がまとめ上げられていくんだけど、何と言ってもいろはマルセリーナがもうもうめちゃめちゃに可愛い。何あの子、ちょー可愛い。いろはちゃん、あの可愛い声のまんま台詞も歌もいけるの本当強い。

洗濯船に乗ってた少女の絵に救い=ふねを描けなかったこと、時を経て「私も洗濯船乗ってた!」という子の船に救われたこと、その子が困るほど好きなこと。可愛い、めちゃくちゃ可愛い。二人ならのリプライズここで使う!?って展開が最高で驚くほど泣きました。ウエンツエミール×いろはマルセリーナね。ウエンツのここの芝居やばくなかった…?この人こんなに上手いんだと思ったよ。あとここでね、上川エミール×いろはマルセリーナ絶対やばい…!と思ってリピチケに走ることを決めたんだけど。いや、そのまえのエミールとジャンのすれ違いのとこでここの上川小柳が観たい!!!ってほぼ決まってたんだけどダメ押しにね。上川いろはの2人はあまりにハーモニーが綺麗だった。上川さんいろはちゃんも包んでくれんだな…って上手さがハンパじゃなかった。私がミュージカルに求めるものこれです。美しい声とそれに乗る素晴らしい芝居。大満足。

 

回想が終わり、やっぱりデジールの最後の作品は希望だったんだ!で目がキラキラしてキャンバスに向かうエミールが、あぁ帰ってきた…ってなった。描くことで世界と繋がる。繋がれたな、って哀しい目をして離れるジャンがさ、お前!違うよ!!!って。その前段階にジャンの言葉で絶望を見てるからデジールの娘の話に共鳴出来るのであって、離れたら、だめなんだよ…って泣きたくなった。でも、離れるんだよね。上山ジャンは名残惜しくて仕方ないのに自分はもう必要ないって振り切って、小柳ジャンはエミールが世界とまた繋がれたことに安堵して離れる。ばかぁ。あそこ夢中でキャンバスに向かうエミールの周りに暗がりが広がっていって、陰鬱なところがまた良い、とか言われて、違うよ!って思った。エミールの繋がる世界が暗くなってることに誰も気付けない。お父さんも、分からない。ジャンと連絡は取ってるのか?って、もっと沢山言っててくれれば、って思うけど、きっとエミールの感覚ではジャンはそばにいたんだろうなって思った。世界が暗くなって、描けなくなって、初めてジャンがいないって実感した。長い時間連絡のひとつも取ってないことに気付いたときには連絡が取れなくなってて、縋るように最後の作品の前に通った。"ジャンも見たいと思って"。これ、ここのすれ違いも哀しいんだよね。エミールにとっては勿論贋作ではあるけどジャンと描いた特別な最後の作品で、ジャンにとってはエミールを救えないほどのところに引き摺り込んだ作品だから多分見たくないくらいで。話の構造が上手すぎる。

2回目でね、絵の前にきたエミールが崩れ落ちるようにソファに座るのが、ジャンがもうこの世にいないことを想ったせいなのが分かって、そこから泣けてしまった。あのノリの介護士さん分かるなぁと思うんだけど、あそこで連絡先は?探してやるよ!って真剣に言う切り替えが実はリアルだよね。エミールが彼の真っ直ぐなところを分かってて、好きだったよ、って伝えてくれるのが嬉しい。で、何気なく発する「ふねだろ?」がとんでもない救いになるんだからさぁ。エミールはジャンの岩と月明かりって言葉に縛られてるし、きっとそこを見ようとは思えなかったんじゃないかと思うんだけどすでに救いは描かれてた。気付いたエミールから溢れ出る描きたい!描きたい!って衝動がさ、ずーっと変わらないのね。もうあそこで出会ったころのジャンが出てくるのずるすぎるのよ。泣くわそんなん。ひとりぼっちだったみたいなエミールがまた世界と繋がる。こんなに嬉しいことはない。

 

全然なかに書けてないんだけど、お父さんの戸井さんもお母さんの綾さんもめちゃくちゃ良かった。戸井さんの声が凄く好きだったんだけどそこから繰り出されるお歌がうっまいのなんの…お母さんとの出会いから語った曲、台詞と歌がシームレスであのぎちぎちの言葉を綺麗に届けてくれるのとんでもない。お母さんと対話が出来てたら良かったのにな…。あれだけジャンと話してくれるのに、と思うけどそれはお母さんとの別れとどうしても描いてくれと息子に押し付けてしまう衝動と少し距離を置けたからなのも分かるから辛い。エミールをずっと信じてるのにね。でも描かせる言葉を持っていないことも分かってる。この親子関係、ウエンツエミールのほうが修復出来そうで、上川エミールのほうが根が深そうだった。お母さんの死に関しての上川エミール、黒いオーラ見えるもん。でも絵に息子のタッチをすぐ感じてくれる。よく見てるのにな、すれ違うんだよな。お母さんは楽しく日々のことを明るく歌うシーンが多いからこそ(このお母さんが原点ならそりゃエミールはジャンの言葉で描けるよなぁって説得力)、亡霊のようにお父さんを心配そうに見てるシーンとかエミールの絶望に現れるのが効果的でシーンとシーンを繋ぐ役割もあるんだなぁって思った。綾さんが繋いでくれるからその絶望がどんなものだったのか、エミールの状態を多角的に見せてくれるというか。絶望の淵でも、待つのは救いのふねなんだよ。待ってるんだよ。でもお母さんのふねになれなかった自分にも、ふねは来ない。来なかった。ここのループのような積み重ね好きだったな。子どもだったエミールが大人として追体験したことによってより絶望が深まる。ジャンはね、救いのふねに足り得るのにこのときに一歩踏み込めないんだよね。

 

本当にすごくすごく良い作品だったなぁ。全然手触りの違うWキャストで、でも固定の意味が分かる。陰陽で分けたときに陽のウエンツ小柳、陰の上川上山だと思ったんだよね。陰陽のバランスが違うことで出てくるWキャスト。だからこのペアだったんだなぁ…というか、陽陽のウエンツ小柳はともかく、上川上山はおっそろしい激重叩き出して何かに刺さりすぎるよ。観たいけど。ここの声の相性良さそうだもん。それぞれのペアの印象はウエンツ上山がお日様の温かいひかり、上川小柳が月ののぼるキラキラした藍色だったからこれはエミールの印象が強く出てるかなー。カメラ入ってたみたいだから映像化されるの楽しみ。くるくる見比べたいやつだよね。