スリル・ミー

恐る恐る感想を書いてみる。何が書きたいのか分かんないんだけど、なんか書かなきゃって思うこの状況が気持ち悪いから。

 

結局何の話だったんだろう、これ。

公演前のインタビュー記事では、究極の愛の話、って言われていることが多くて、だから愛の話なのかなって思ってたんだけど、今、久しぶりに公演チラシを見返してたら、愛という字は全く使われてないんだよね。究極の心理劇、「君が必要だ」、スリル、このへんがキーワード。愛、を、どう捉えるかの話なのかな。

正直もっとハマるかなぁって思ってて、それは「もっと見たい」「何度でもあの空間を体感したい」になるかと思ってたんだけど、全くならなかった。でもそれはハマらなかったわけじゃなくて、あの空間にいることに畏怖を覚えた、といえばいいのかな。まっさら初見で成河×福士を浴びたのがそれに繋がったと思うんだけど、とにかく見終わったあとのしんどさが尋常じゃなくて、あんなに疲れて劇場出たの初めてだった。たぶん、松下×柿澤を初見にしてたらもっと通っただろうな、と思う。だって松下×柿澤って分類したら鳥蘭だなーって。自覚してやってて、でもそれに打ちのめされて、同情したくなる。可哀想と思わせる力に引っ張られやすいのは分かってるんだよね。でも、成河×福士は一切そういうことがなかった。ある意味、この話の史実の重さ、許されなさ、怖さを前面に出してたというか。そっか、これ、今書いてて初めて思ったんだけど、そういうことか。二人の観客に対する「裏切りますよ!」ってこれか。

過去公演の感想を読んだり、イメージして出来上がってたスリル・ミーって、やっぱり愛の話なんだよね。もっと即物的に言えば良い男二人連れてきて、抱き合わせてキスさせて、そういうの見たいでしょ?って。見たい、見たい、みたいな。そこで集客しようとしてるのは見え透いてるんだけど、私の見た印象として、もちろんそこに興奮することはあったけど(一発目の福士彼のキスとかたまんないよね、とか)でも、一番重要なのそこじゃないなって。公演見てから日が経って、思い返してみると思う。成河さんが過去公演を見たときに思った印象の話をしてたけど、そこ以外のところをどれだけ出してくるかってことなのかな。閉じた、二人の空間、二人の関係を描くんじゃなくて、二人から見える外、というか。例えば松下×柿澤は箱庭だけど(それもとびっきり綺麗なやつ)、成河×福士はもっといびつでドロドロした感情の色がべたべたについてる感じ。私は箱庭で起こる松下×柿澤の話が本当に優しくて綺麗で哀しくて大好きだけど、先に浴びた成河×福士の衝撃が大きすぎたんだな。もうべっとり。ねばついてさえいそう。

成河さんの言葉が大好きだから引っ張られてるのは分かるんだけど、公演開幕のときに書いていた「本当に怖いもの」を見つけること、はどこに繋がるのかな。何かな。私は、あのとき劇場で起きていた事実が怖かった。成河私が、福士彼の話を全く聞かなくなって、なのにそれまでにない明るいテンションで、「まだ分からないの?」と無邪気に投げかけるのが怖かった。あの展開になったときに結末なんて分かったのに、にっこり、よりも、にたぁっと笑った成河私が怖かった。正直あれをもう一度浴びる気になれなくて慄いてるんだけど、名古屋には行くので、どきどきしてる。それに1日2公演の順番を完全に思い込みで成河×福士→松下×柿澤だと思ってたのに、逆だって分かったときの衝撃ったら…!打ちのめされて、癒されて帰ろうと思ったのに、逆!まさかの逆!どうなるのかなぁ。こわいなぁ。でも、楽しみ。