Musical Thrill me 2018

"私"と"彼"の物語。

2018.12.21 19:30 成河×福士誠治 @東京芸術劇場シアターウエス

2018.12.22 16:00 松下洸平×柿澤勇人 @東京芸術劇場シアターウエス

2019.01.25 15:30 松下洸平×柿澤勇人 @芸術創造センター

2019.01.25 19:00 成河×福士誠治 @芸術創造センター

 

 さて。強烈に何か書き残しておかなくちゃいけないって思ったんだけど、何を書いておこうかな。それぞれの印象の話かな。たぶん、いくらでも、曲のリストに沿ってそのときの役者の動きとそこから感じたことを書くことも、それぞれの役者がどうこの役を解釈して演じたかも、二人の空間をどう構築していたのかも、本当にいくらでもどれだけでも書けそうなところが怖いところだけど。それがこの作品の沼たる所以なのかな。しかも恐ろしいことにそこら中で解釈違い!!!みたいなことが起こってるのに、内包してしまえるところが凄い。

 

  • 私のスリルミーのはじめ

成河×福士でする、と決めてネタバレも読まず、曲も聞かずに見に行った初回はそれはそれは恐ろしく疲れた。あんなに疲れて劇場を出たことはない。もうぐったり。私の告白に納得するしかなかったのに、あの「まだ分からないの?」から使われる明るい声色、まるで彼を見ていないのに彼から褒めてもらいたくて、認めてもらいたくて、楽し気でさえある私が本当に怖かった。あのとき初めて現れるあの私の鮮やかさ、一体なんだったんだろう。そこまで、どうして彼は私のこと見てくれないの?って私の視点に寄り添うようにいたから(これは本当初見じゃないと出来ない視点)、あの瞬間、突然彼の視点に立たされて、裏切られたように感じて、途端に得体の知れないものになったのに、そのままそこにいた私が本当に怖かった。どんでん返しなんてチャチな言い方だけど、息を呑んでそのまま呼吸を忘れるような。あそこ、話は進んでいくのに頭の中物凄い勢いで巻き戻しがかかるから余計疲れるんだろうな。

 

  • 成河×福士ペア

そんな恐怖に叩き落としてくれたこの二人に、相思相愛で表されるような幸せな愛はなかったと思う。これは、千秋楽を見ても変わらなかったな。ただ、ほんの少しだけ、それぞれを見てる、でもこれは相手を思って見つめてるという意味じゃなくて、観察し合ってるようには見えた。見てないのに、観察してるから、会話が成立してる。

  • 成河私。

初回見たときは彼のことが大好きで大好きで纏わりつくようにそばを離れないけど、大好きが空回りしててイタイ子だな、と思った。相手にされてないし。むしろあれだけ相手にされてなくて、なんでめげないんだ?とすら思ったんだけど、それもそのはず、私が大好きでそばにいたいのは"彼"本人ではなくて、私のなかの綺麗な部分だけ切り取った"都合の良い彼"。その綺麗な部分だけを崇拝して、あとのことはまぁ目つぶっときゃいいかな、って自分本位なところが最後に透けてみえてくる。あれが怖い。自分の欲求を押し付けていたのは彼じゃなくて、私なのか…!っていう衝撃と、自分のことしか、自分の快楽のことしか考えてないものに、突然その対象だったんですよ、と突きつけられる恐怖。あの私に感じた畏怖を、どう言葉にしたら表せるんだろう。正直本当にあの怖さに直面しに行けない、と思ってた千秋楽までの一か月だった。

やっと何とか向き合えそう、と覚悟も決まった千秋楽。纏わりつくようなウザさは静かになってて、もう少し"彼"本人を見ている私がいた。でも、私から見える彼はずっと独りで、はじめは強気に僕なら君を救える存在になりえるだろう?って思ってるんだけど、放火、窃盗、誘拐、殺人って彼のそばで一緒に罪を犯していっても、彼は全く自分を見ていないことに気付いてしまうのが切なかった。だからといって魅力的な彼から離れようとも思えなくて、ずるずると一緒にいて、どうにか彼の目を引こう、認めさせてやろう、と思って眼鏡を落とすけど、その告白をしてすら彼は私を見てくれない。私は悟る。彼を、救おうだなんて、手に入れようだなんて思ってはいけなかった。離れなければいけなかった。彼を、連れてきてはいけなかった。私に対して孤独だ、と歌うのは彼だけど、彼の孤独を埋められなかった私という存在を、私自身が許せなくて、あの瞬間に後悔を感じてたことが無茶苦茶にしんどかった。

最後の「待ってたよ」が、53歳の私のはずなのに、あまりにも19歳、もしかしたらそれ以前の若い私の声色だったのは、回想冒頭の「待ってたよ」からやり直せたら、ってことなのかな。あんなに優しく「レイ」と呼ぶ彼は、一体いつの彼なんだろう。あのラストシーン不思議なんだよね。釈放されて、自由になった私を迎えにくるように現れる、幻の彼。「待ってたよ」「レイ」そのままいなくなる、なんだろう、それこそ、"禁じられた森"を求めて森の中に駆け出していって消えてしまうような。「スリル・ミー」

  • 福士彼

あまりにもあまりにもその存在が好きになりすぎてびっくりした。こんな素敵な人、周りにいる?まさか。いたことない。いたら夢中になるに決まってる。立ち姿で百点満点、動けば目が追い、声が聞こえれば幸せ、歌いだしたら、もう、百万点満点!!!凄い。冷徹で硬質で、なのに色気が溢れてて、弱さの一点が見えるのに全く触れさせてもらえない。スポーツカーを歌う福士彼が大好きなんだけど、きっとあれが普段みんなに見せてる表情だったり仕草だったりするのかなと思った。嫌味にならない完璧さ。自分のことを分かってて、周りからの評価を当たり前だとする傲慢さに、ほんの少し自己嫌悪を抱いている。私の前で自分を取り繕わない彼は、ある意味私に自分をさらけ出しているけど、それは私が特別だからではなく、どう思われてもいいから。そういう意味で子どもの頃から一緒、が効いてくる気がした。初回見たときは、半分鏡なんだな、とも思ったな。私は、半分自分だからどれだけ突き放しても帰ってくるし、コンプレックスを隠しもしない。彼は私に言っているようで、その言葉は独白であって聞き手の存在はないものとしてる。ただ、賢い彼は私を同一視することはないし、自分とは違う人として在ることはわかってる。ここが完璧だから、ある意味ではしんどい。ぐちゃぐちゃにして分からなくなっていればいっそひと思いに沈めたかもしれないのにね。

千秋楽で私の告白を聞いた彼の反応がすごく印象的だったんだけど、「まだ分からないの?」と言われてから明かされていく事実をひとつひとつ追いながら頭の中で処理していっているように見えて、もちろん驚愕しているし恐れをなしているんだけど、それ以上に冷静な部分が際立っているように見えた。だから、だんだんとそうだったのか、って納得していくようにみえて、納得してしまえばしまうほど、私に開いていた心の一部さえ(それは好意的な意味ではなかったと思うけど)どんどん閉じて、独りになっていく過程がみえてしまって、すごく辛くなった。鏡のように半分自分の私すらを拒絶してしまえる彼。後ろ向きに階段を登った彼と、私が縦に並んだとき、私の半分にだけ照明が当たっていて、あれは半分彼だった私が、ただの私に戻されてしまった、そうされたときの後悔がしんどかった。

 

  • 松下×柿澤ペア。

それぞれの相手への想いが感じられて、その想いを掘り下げていくと情、親愛、信頼があると思った。愛の話。あの舞台のセットに公園のシーンで照らされる新緑の色が大好きだったんだけど、一段上がる部分が枠組みみたいに見えて、それが二人のためのとびっきり綺麗な箱庭のようだと思った。少しだけ眩しい、明るい陽のなかにいる二人。子どもの頃から一緒にいる、何でも一緒にしてきた、特別な幼馴染。

12月に見たときは、二人がなんて対等で、お互いを見てて、優しくて、切ない話なんだろうって思った。松下私が柿澤彼を止めたい、"可哀想"に引っ張られる、大好きな話。

千秋楽は二人が対等でお互いを思っているところに変わりはなくて、むしろ想いが強くなってるのに、全然届いてないことに驚いた。あんなに力があるのに、なんでそんなにすれ違うの?九十九年あたりからかな、それまでに積み重ねられてきた二人の力に圧倒されて、本当にあれ目に見えない力だとしか思えないんだけど、必死に耐えてないと頭ガクンって後ろにもっていかれそうで、涙が出てくるわけでもないのに目の前が霞んできて、何度も何度もぎゅって目を瞑ってた。気付いたら浅くしか呼吸が出来なくなってて、なんだったんだろう、あれ。ものすごいパワーだった。それから、あぁ、集大成なんだな、って言葉が浮かんできた。

  • 柿澤彼。

私のことが特別で、無邪気に無条件に信じている彼。口ではなんと言おうと、許してもらえるって無意識のうちに甘えている。あの私に対する態度に全く無自覚である彼は、本当に無垢だなぁと思った。絶対に口に出して認めないけど、想いが純粋すぎて本当に天真爛漫な子どもに見えてしまう。現実感が薄いというと少し違うんだけど、どれだけ皮肉に言葉を発しても、私や弟、父親を罵っても、そこに人の悪意を感じない育ちの良さが滲み出るのを感じた。根本的なところで人を疑わない、疑うという思考回路を持ち合わせてない。だから、守ってくれようとする私には甘えるし、想いをぶつけてくる強い私には自分も強く強くはじき返すように言葉を重ねる。そのとき相手にした松下私の感情を受けてグラデーションのように変わってたのかなぁ。なんかね、書いてて思うんだけど、驚くほど柿澤彼の印象が薄いんだよね。なんでだろう。でもあの千秋楽の私に感じた強さは間違えなく柿澤彼が引き出してるってことも分かるの。不思議だなぁ。

  •  松下私

が、怖かった、という話を、書きたかったのかな、と思う。

12月に見たときは、彼に対する態度があまりにも優しくて、彼を止めたくて、守りたいんだな、と思った。自分は仲が良くて温かい家族がいて、そのなかで認められて守られてる自覚があるんだけど、幼馴染であり、お家同士で親しくしていた彼の家は自分のうちとは違って、彼がそのなかで認められずに鬱屈していることが分かる。何とかその鬱屈を埋めてあげたくて、必死になる私。だけど彼の本当に欲しいものは自分ではないのを分かっているし、足りないのも分かっていて、それでも何とか少しでも彼を覆ってあげたいと思う。それなのに気付けば彼は思ってもみない方向に走り出してしまう。どうして?という間に止められなくなっていって、でも何とか止めたくて方法を考える。この止めたい、は、これ以上犯罪がエスカレートして被害者が増えていくから止めたいのではなく、そんなことをする彼を私が見たくなくて止めたい。彼が痛々しくて仕方なくて守ってあげたい、ように見えた。ずっと憧れだったのに、途中で薄々思っていた自分が彼より賢いという事実に気付いてしまうのが哀しくて、彼が自分のことを信じてるのを分かったうえで、それでも彼から見たら裏切るという選択しかし得ない私も、十分子どもなんだよね。それでもあの私は精一杯の想いで彼を守ろうとしていた。

千秋楽に見たときに最初にあれ?と思ったのは、私が何とか彼を守りたい、と思っていたその部分がまるっとなくなってるようにみえたこと。もともと優しくて対等と思っていて、私視点からは保護者と被保護者のように見えていた関係が、もっとずっとむき出しの感情でぶつかり合ってるようにみえた。この私、強いな…?って途中で思ったんだよね。ある意味弱さを出してた松下私から、強さを感じる違和感。しかも後半にかけて確実にクレッシェンドかけてきてとんでもない剛速球投げつける。なのに届かない。届かないことも理解していて、それでも投げ続ける。びっくりするほど彼しか見てないし、観客なんて意識もしてない。それなのに観客はその想いのエネルギーに圧倒される。あれを受け続けた柿澤彼は本当に凄かったし、むしろ上乗せで返すから更に倍返しして、どんどん、どんどん積み重ねられてく想いが怖かった。あぁ、そうか、これが、怖かったのか。完全にすれ違いの、とんでもないパワーの、相手だけに向けられた想い。あれこそこの演目の完成形のひとつなのかな。二人だけの世界。完全にそれぞれが、それぞれしか見ていない世界を、全く締め出されたところから見せられる。あの圧倒と衝撃を咀嚼しきれなくて、あんなにも苦しくなったのかな。